去年の秋
水膨れのように
膨らんだ日記を
8冊燃やした。
高校時代から
書き溜めたもの。
よくもまあ
こんな無意味な感傷を
書き綴ったものだ. . .
とにかく
邪魔で
しょうがなかった。
燃える日記を見て
ほっとした。
これで誰かに
暗い汚点を
見られずに済む。
明るく振舞っていても
根は暗い奴だ. . .
と言われなくて済む。
身体も軽くなった。
書くための時間を
返して欲しい. . .
などとは思わない。
日記なんて
書いてる瞬間しか
意味が無いことくらい
知っている。
8冊後も
日記は書いている。
これは
仮想空間だ。
delete かドラッグで消せる。
しかも
感傷的部分は
一切無い。
あったことを
羅列するのみ。
日記はわたしに
感傷が
なんの役にも立たぬことを
教えてくれた。
それだけでも
価値があった。
この秋、
ポッと
白熱電球が点灯するように
思い出したことがある。
7冊目辺りに
3万円挟んでいたことを. . .
明日喰えない日のための
保険だった。
これだけは
惜しいことをした. . .
と一瞬思ったが、
一緒に燃えてくれてこそ
価値があったのかな. . .
と思い直している。