インテンショナルとは、無意識の共感を生んでこそ 初めて意義あるものに . . .

狭隘な
立飲み屋

イカの沖漬け

カッとひらいた
熱燗で

一気に
腑へ流しこみ

春風に
遅れて

青空が
流れこむ階段を

わたしは

一気に

新幹線ホームへ
駆け上がった

久しぶりの
京都行き

ふと
スパニッシュ系一団

一瞬

サグラダファミリアの精緻が
目に浮かぶ

彼らは

すっかり
日本に感化されたか

白線内
几帳面に並び

反対ホームに
滑り込む

カモノハシのような
新幹線に
熱狂している

しかし

一瞬の熱狂から
覚めると

普段の生活が

素直な感情表現から
遠ざかっていたことを

その
強張ったシワと
青白い表情が物語る

ゴーギャンにとっての
タヒチのように

少なくとも
日本だけでも

地球最後の
楽園であるべきだ

天然美という
意味ではなく

おもてなしの
世界として

それは

極東の
島国という
地政学を得た

わたしたちの
責任でもあるだろう

おもてなしとは
どこか

インテンショナル臭が
つきまとうものだが

だからこそ

もてなされた側は
必死に客を演じ

その結果の
誤作動が

双方の
意図を超えた

共感というものを
演出する

これぞ
お茶の世界だ

インテンショナルが
逆に

無意識の共感を
生む一瞬

まさに
これこそ

日本人のお家芸では
なかろうか

Written by: