「神」と「仏」と「京都」を散策する愉しみ

やや
センシティブで

安易に
触れる問題では
ないが

わたしにとって
『神』は
形がなく
光に似た存在 …

宇宙をも含む凡てを企図した
『創造』のシンボル。

一方
『仏』は
釈迦という人間が
艱難辛苦の末
育んだ体験を
弟子たちが
体系化した
人間の『知恵』と
捉える。

そもそも
比較できない
全く別次元の概念だ。

別の言い方をすれば
神は
手のつけようのない
混沌であり、

仏は
その神の摂理を
命を賭して
読み解こうとした
人間そのもの..と
受け取れる。

よって
わたしの中では
神と仏が
なんの違和感もなく共存する。

歴史学的には
イスラム的一神教
あるいは
縄文的多神教
または
国生みの神
はたまた
仏教教理上の神など
様々な概念があり、
本地垂跡思想や
神仏習合の歴史を辿った
わたしたちの宗教観は
なにかと
迷走しがちだ。

わたしは
難しいことは
分からないので
シンプルに考える。

年の瀬が迫り
空気が黎明化していく
この時期

京都の街を歩くことは
この上ない喜びだ。

どの界隈も仏一色。
多くの『知恵』に
囲まれている。

しかし、
その奥から
光が漏れだすように
神を感じるのは
わたしだけでは
ないのだろう。

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