京都への愛着は
どこにあるのか。
なにも
日本人の精神性を
玉手箱に入れて
神棚に
飾ろうなど
思っていない。
この都市には
幸運にも
連続性がある。
応仁の乱で
灰燼に帰した
とは言え
京都に対する
歴代将軍の
敬意と計算が
その意匠性を担保した。
もちろん
先の大戦において
結果として
過度な空爆を
免れたという事実は
重要なポイントとして
特筆すべきだろう。
もしも
他都市と同様な
壊滅的空爆を受けていたら
わたしたちは
祖先からの
日本人としての
物差しと象徴を失い
何が新しいものなのか
という
新しさへの概念すら
失っていたかも
しれない。
戦後
各都市では
言葉は悪いが
焼け野原をいいことに
区画整理の下で
多くのビル群が割拠し
そこに
自由と個人をターゲットにした
外国資本と横文字が
流入した。
もちろんそれらは
利便性と富をもたらし
これまた
全否定する気持ちなどない。
ただ
多くの都市で
その連続性の機微が
失われたことは
確かだと思う。
手垢にまみれた言葉だが
『 温故知新 』
新しいものを
取捨選択し
習合するために
束の間にせよ
京都に身を置き
しばしの機微に触れる幸運を
噛みしめている。