『 二十四節気 七十二候を 生活する 』というスピード感の真実とは

二十四節気
七十二候
と言えば

短歌や
連歌などで
遊ぶ

今日もあれば
明日もある. . .

のんびりとした
公家風文化を
連想していた。

しかし
最近

わたしの中で
真逆の観念も
芽生え始めている。

むしろ
武士道的な

禅の世界に
通ずる

ある種
刹那的

今日ある命
明日あると思うな
的な
観念だ。

365日を
七十二候で割ると
約5日単位となる。

次の「候」も
わが命は
この世で
移ろうておるのだろうか. . .

そう想えば

今日に対する
慈しみも
大きく変わってくる。

日めくりの極意も
理解できる。

昨今は
なにかと
インターネット
などにより

しかも
メディアや
商業主義の
扇動もあり

日々の生活に
大衆的カオスが
いとも容易に
持ち込まれ

それを
自らの欲求と
勘違い
させようとする力が
働く。

しかし
冷静に考えてみれば
そこに
自発的衝動は
一切無い。

全ては
周囲が
企図したもので
ある。

たとえ10分でも
壁に向かって
座禅を組み

本来の
己の
真の欲求を
洗い出し

それに要する
所要時間と
己の背負った
制限時間を
天秤にかけてみるとか. . .

心の整理に
向けるべきかも
しれない。

積極的
有意義な
クリぼっちを
実践したい。

Written by: