京都駅に降り立つたびに思うことがある

私は京都出身ではない。
京都に小さな会社を持ち、
頻繁に出入りしている。
そんな私が
京都駅に降り立つたびに思うことがある。
「入場料はどこで払えばいいのか」。
京都は私にとっての
ディズニーランドだ。
ディズニーランドには当然
入場券を買う大きなゲートがある。
しかし京都にはそれがない。
ただそれだけのことを言ってみたかった。
しかしここで終われないので
もう少し続ける。
江戸遷都以降
京都がおもてなしの都として
急速に進化したことはよく知られている。
しかし、
東京のように何でもあり..のおもてなしではない。
ちゃんと京都のルールに従っておくれやす…
みたいな縛りがある。
それを上から目線と捉えたら
身も蓋もない。
京都人は自らの欲求をも律しながら
日本文化の原風景を堅持しようと
歯を食いしばっている。
そのことが、
建築や景観条例などに反映され
多くのものが古色蒼然と佇んでいる。
だから、
入場料が要らないぶん
場内においては
我々も歯を食いしばって
お金を落とさなければならない
と、考えている。

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