前回、
東京は
宵越しの銭を持たぬ
町人の都と
書いた。
たとえ
今宵銭を使い果しても
明朝には
仕事にありつける
闊達な経済と町人風情を
表現する
一種の比喩とも
受け取れる。
一方
京都にいたのは
公家ばかりか
と言えば
もちろん
そうではない。
「町人」という
意味で言えば
正に
京都が
先輩格だろう。
公家と武家が
習合していく
特に
室町時代以降
京都は
全国から
富が集まる
経済の中心。
生活の糧を求め
多くの人々が
流入し
活況な経済活動を
行った。
その中で
京都の町組を
形作る
町人文化が
発展したのだろう。
町人たちは
規律を重んじ
都市計画の一翼を
担ったに違いない。
その流れを
汲むのが
今も
毎年夏
整然かつ
盛大に
執り行われる
あの『祇園祭』だ。
疫病や火災から
町を守るための
町人による
町人のための祭だ。
この祭を眺めると
いかに昔から
京都における
町人の結束が
固かったかを
思い知る。
ただ
東京遷都により
経済の中心を
明け渡して以降
太陽も月も
併存した京都は
太陽を
東京に
譲り渡したのだろう。
太陽の壮烈な
残り火を
内に秘めつつ、
今は
ひっそりと上がる
月を眺める。
それも
また
良きではないか。