果たして今年  わたしの目に 「 桜 」は  なにを伝えてくれるのだろう . . .

いつも
考えているのは

目を
澄ますこと

耳を
澄ます . . は
よく聞くが

目を
澄ます . . は

あまり
聞かない

辞書で
引くと

凝視する . .
とあるが

わたしの
感覚では

むしろ
その逆だ

細部を
注意せず

ぼんやりと

そのモノや

その人を包む
空気を

受け取る

見ようとすると
見えない

いや

見ようとすると

被写体が
変異する

そこに

社会の通念や
定説といったものが
介入し

フィルターを
曇らせる

同時に

モノや
人も

見られまい
として

バリアーを
張る

そう

瞳孔を
しぼらず

ただ風のように
見て

己の中の

己だけの
経験則

という
受容体に

判断を
ゆだねる

. . . .

今年も
もうすぐ

桜が満開に
なるはずだ

そろそろ
桜も

目を
澄まして

見たいと
思っている

花鳥風月に
おもねる

日本人としての
強迫観念や

先人の苦悩
歴史の惨禍

幼き記憶を
通して見る桜は

わたしの中で
常に

重たい存在で
あり続けた

こう
思うべきだ

こう
あらねばならない


言うような

妙な
強制力は

もう
卒業しよう

ただただ

目を
澄まして

友達のように
見るのだ

そうすれば
もしかして

桜からの
真のメッセージが

伝わるのではないか . .

今や遅しと
待ち構えている

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