ランドマーク終論 『それは月である』『それは京都である』

長々と
ランドマークについて
書いてきた。
はっきり言って
どうでもいいようなことと
思われたに違いない。
私もそう思う。
しかし、
全ては
タイトル通り、
ここに帰結したかった。
先に答えありきである。(笑)
我々が
地球のどこにいても
もっとも高き場所から
ただならぬ霊力を
授かれる存在は
月を置いて
他に無い。
しかもその存在は
夜道を照らすばかりでなく
満ち欠けにより
歳時を知らせ
気づきを与へ
深い瞑想空間を創出し
風流の心を演出した。
これほど
万民にとって
ランドマーク足り得る存在が
他にあるだろうか。
また同時に、
京都という地は
古より
月の存在を
政(まつりごと)はもとより、
日常の在り方
過ごし方に
見事なまでに取り込んだ。
天皇が鎮座した
平安京の御所自体
月待ちの構えであり
中世においては
月の御殿と異名をとる
あの銀閣寺しかり、
近世においては
庭池の月に舟を浮かべる
あの桂離宮しかり、
京都という土地全体が
月を愛でるための
パノラマ都市だったのだ。
そうした
京都の地にとって
果たして
聳え立つランドマークが
必要だったろうか。
答えはもう
出ているように思う。

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