もっと言ってはならぬ!「京都通」

京都に執着する人には
私の個人的見解だが
「京都好き」と「京都通」の
二通りがあると思っている。
「京都好き」は
無邪気に京都が好き…という
私が所属しているエリアであり
京都人から
「そうおすか〜、それはよろしいなあ〜」
と一笑される程度で事は済む。
しかし、
「京都通」となると
話は一変する。
少なくとも
「京都検定」は
パスする必要があるだろう。(笑)
とはいっても
私は「京都検定」なるものが
いかに難しいか
その問題内容を知らない。
問題内容は知らないにしても
それが如何に
煩雑で絡み合い
垣根と落とし穴に
阻まれているか程度は
察しがつく。
神社仏閣の数、
通りの名称など
表立ったことはもとより、
時候の習いと備え、
お稽古や習い事の多様性、
伝統工芸の奥深さ、
その他諸々….
1200年の都が育んだ
多岐に亘る設問は
想像しただけで
ノイローゼになる。
よって、
そのエリアには
絶対近づかないことに
している。
ほどほどでいいのだ。
ざっくりと京都を知っている…
という程度が幸せなのだ。
「またお越しやす〜」
と言われて
帰る場所があることに
私は正直胸を撫で下ろしている。

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