またまた「ルネサンス」について考える

自分がこれまでブログに上げた
ルネサンスに関する文面を
今更ながら読み返してみた。
感想は、
言葉の遊びになっている…
ということ。
イタリアにおける
ルネサンスの本質、
掘り下げるべき要素、
またはアプローチするべき角度、
それらの手順など、
しっかり整理されないまま
日本におけるルネサンス探しに
手を染めたため、
これ以上進めない状況になっている。
ここで改めて
全てご破算にして
0ポイントに立ち戻ることにしよう。
歴史に十分な造詣がないまま
深く立ち入ることは
読み手をも深く惑わすことになる。
十分戒めなければならぬことだ。
さてと、
0に戻したことで
少し気分が楽になった。
ところで私は
何故にかくも
ルネサンスという言葉に
固執しているのだろう。
あの「ルネッさ〜んす」という
漫談家のフレーズを
気に入ったわけではない。
気づいた時には
ほとんど直感的に
この言葉の持つ
四隅が輝くようなシャープさに
憧れていた。
そして、
その言葉の背景には常に、
あの、
白くリアリティーを秘めた
ダビデ像が
立位していたのだ。

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