なぜ、六角堂に通うようになったのだろう?

どうしても
思い出せない。

聖徳太子が沐浴した場所だから
ではない。

京都のヘソと言われるから
でもなく、

生け花発祥の地だから
でもない。

京都は
学生時代を過ごした後も
日常的に出入りしているが、

なんの意識もなく
いつの間にか
ここ六角堂が
わたしにとって
手を合わせる場所となった。

もしかして俺は
親鸞の生まれ変わりだろうか…
と思った直後…

そのあまりの不遜さに
大笑いする。

親鸞は
比叡山を下り
夜な夜な
六角堂に参籠…

95日目に本願を得たと
言われる。

本願とは
聖徳太子の夢告で
吉水(よしみず)の法然の下へ
向かうべし…
ということだった。

しかして
わたしも
向かったのだった。(笑)

随分昔の思い出だ。

壮大な知恩院の傍らを抜け
山林へと分け入る。

誰も足を踏み入れない
薄暗い…
もちろん
ただ一人として
観光客の姿もない…
そんな山裾の一隅に
吉水の石碑は立っていた。

傍らに
法然と親鸞が身を寄せ
読経したという
小さな洞穴があった。

その足元は水をたたえ、
アメンボが
泳いでいた。

この季節になると、
あのアメンボを思い出し、
暑い京都を想う。

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