たとえ平和ボケ、
浅学非才と笑われようと、
暴露しなければならぬことがある。
私の中の「宗教」問題だ。
寺院で「神様…」と念じたり、
神社で「南無阿弥陀仏…」と吟じそうになる。
ひどい場合、
賽銭箱の前に立ってから、
寺だったか宮だったかと
辺りを見回す。
これは明らかに暴露に価する。
しかし、
弁解の余地もある。
同じ敷地に
寺も宮もある事例は多い。
まさにこの国の専売特許、
神仏習合、本地垂跡である。
明治期になって
今更のように廃仏毀釈があったり、
この国の宗教に対する慌てぶりが
見てとれる。
よって私は、
拝む対象を幾多の先人に求めることが多い。
難題と不条理の荒波を乗り越え、
この国を造った人々、
よくぞここまで…と
頭を垂れたいリアリティーがある。
しかし、
バクッと包括感謝やお願いをする場合は、
ほぼ「神様.. 」と手を合わせている。
姿なき光のイメージだ。
そして、あらら仏様は?..と慌てる。
仏様はあまた仏像に見てとれるように
沢山いらっしゃるので、
なかなかターゲットを絞りにくいのが実情だ。