文章を書き公開することの難しさと意義

文章を書くこと自体は
ペンかパソコンがあればできる。
日記のような
単に自分のために書くことにおいては
さほど困難なことではない。
しかし、
それを公開するとなると
やや趣向が異なる。
そこに虚栄心という魔物が潜む。
少しでもそれなりのことを書き
自らの社会性を高めようとする作用が働く。
すると
書く前に、または書きながら
書物やネットをチェックすることになる。
文章に責任を持つ..という点では
ある程度仕方のないことだ。
しかし一方で
強く思うことがある。
無知の強みを無くしてしまう..。
あれこれ調べ過ぎた文章は、
いい意味の棘がなく
まるで臨場感がない。
もっと言えば真実がない。
繁殖するネット媒体、
一億総作家の現代において、
その人の文章に全てを委ねる人などいない。
要は、考え方の切り口、
あるいはヒントを求めているに過ぎない。
無知な人間が
少ないボキャブラリーで
バクッ!と本質をつく文章に憧れる。
ここまで書いて実感した。
これは自分の文章への自己弁護であるとともに、
一方で期待であると…

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