年を拾ってこそ気づく . . . 、よくぞ茶事の国に生まれけり

先日

茶事とは

基本的に
懐石をともなうもの

と知り

深く合点した。

若い頃

たかがお茶!

茶事などと
勿体つけるな


思っていたが

2度〜3度

茶懐石の機会にふれ

最後の
茶に至るまでの

実に愛おしい
時間の流れに

心から驚いた。

以前から

お茶が
ある種
強制的に

懇親の場を
創り出す意義は

理解しているつもりだった。

しかし

最近感じるのは

それがもつ

フォーカス装置としての
意義深さだ。

ただ目の前にある

そのこと

そのモノだけに

一瞬一瞬

心を添わせていくという
動作が

これほどまでに
心を平安にしてくれるとは。

限られた空間

制御された光と影

思い遣りを尽くした会話

少量ゆえに
余計研ぎ澄まされる
一菜の美味。

普段
あまりに多くの
情報とモノに囲まれて

こうした
一瞬
一点に集中することを

わたしは

これほどまでに
疎かにしていたのか


痛感させられた
わけである。

茶道は

我が国に
多くの流派が存在する

わたしは
流派というものに

まるで関心が
なかったが

こうした
抽象的なる空間を

それぞれの理解を
切磋琢磨させることで

より具象化させていく
という点で

非常に意義のあることだな


最近思うようになった。

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