その昔
ふと
インスピレーションを
感じ
買い込んだ服が
ある
何故
こんな
トンチンカンなものを
買ったのだろう?
何度も
何度も
処分の憂き目に
遭遇しつつ
その服は
なぜか
生き残り
今
わたしの
お気に入りだ
これぞ
人生そのものだと
感じている
わたしが
その服に
いや
その時の
インスピレーションに
15年から
20年かけて
やっと
追いついたのだ
毎日が
メリーゴーランドのように
ボケ足で見える
日々も
やがて
静止した
人力車のように
シルエットが
くっきり
見えるときが
くる
そのとき
思うことは
社会の評価の外で
生きたいという
まるで
綿菓子の
香りのように
日和のいい
秋の
日溜のような
感情だ
見栄や勢いで
身体を覆うことなど
もう一切
必要とせず
ただただ
心地よいものを着たい
それだけ
…
もう一度
それらの服を
眺めてみると
殆ど
全て
コットン100であることに
気がついた
そして
先日
わたしは
わざわざ
コットン100の
バスローブを買った
以前
最も嫌っていた様式の
家着だが
実はもう
感づいている
近いうちに
わたしは
いつかテレビで見た
幸田露伴のように
着古した
紬の着物で
縁側に
寝そべっているに
違いないと