前回のブログを
書いていて
少し引っかかり
こんな
タイトルになった。
結論から
書こう、
「人生は、金である」
「カネ」だ!
「ゼニ」だ!
名誉までは要らないが
金は欲しい
これが
偽らざるところだ。
金がないと
何をするにせよ
己の環境が整わない。
もちろん
周囲への配慮にも
事を欠く。
贅沢は言わない、
社会保険を支払い
衣食住を整え
係累と周囲へ
多少なりとも
配慮できる範囲の金が
要る!
「人生は金ではない」
と言えるのは
よほど金が
溜まってからの
セリフだ。
さて、
しかし同時にである、
前回のブログ
サルテサーキットは
ハンドリングを誤れば
即「死」を意味する。
F1の場合も
アイルトン・セナは
そうだった。
そうした境地を求め
その先へ
行こうとしている
人間にとって
果たして
「人生は金」なのだろうか?
いやいや
彼の場合は「名誉」だと
言う人もあるだろう。
しかし
「金や名誉」ではなく
もっと違うものに
突き動かされていなければ
あれほどの
危ない橋は
渡れないだろう. . .
あくまでも
日常は「金」なのだが
その人なりの
死生観に
直面した一瞬だけ
金は
存在意義を
失うのかもしれない。