続・「茶の心」と「喫茶店」について考える

前回に続くが、
手盆を持たされ
カウンターに並び
コーヒーをオーダーする喫茶店は
やや「茶の心」から
遠のくようなことを書いた。
しかし、
近年急増するこうした
チェーン展開の喫茶店を
否定しているわけではない。
むしろここには
ここならではの
「茶の心」が
十分存在すると思っている。
なぜなら、
お茶に対する現代我々のニーズは
「ここだけの話」が
いっぱい浮遊しているような
あのやや薄暗目の喫茶店だけでは
まかない切れなくなっている。
何を言いたいかと言えば、
「自分」対「他人」という
対人関係の図式のみでなく、
むしろ、
「自分」対「自分」という
個人完結型の対話の上で、
絶対的に必要とされているからだ。
資本主義社会が増長し
多数の利害やビジョンが錯綜する中では、
得てして己の生き方を
見失いがちだ。
やや喧騒な喫茶店だからこそ
様々な人々の表情を借景に
深々と自分の中に分け入り
いろんな自分と対峙し
決着をつける。
そうした作業が
日常的に必要とされている。
その意味で、
こうした喫茶店も
十分「茶の心」を
満たしているように思う。

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