深い愛は多弁を招き、そして自傷する。

よく考えると、
これは
わたしのテーマだ。

時として
多弁を招く。

深い愛とは
一体誰への「愛」か。

その本質は
自己愛ではないのか. . .

単なる自己顕示欲。

確かにそれはある。

しかし、
一辺倒でもない。

静寂に
石を投げ入れたい性格。
これもある. . .

どこか
自己顕示欲に繋がる
同じ匂いだ。

しかし、
一辺倒でもない。

寂しいから. . .
これもある。

一人でいることが多いから
つい喋る。

しかし
そればかりでもない。

責任感から. . .
これもある。
嫌、
こればっかりと思いたいが. . .

周囲からは
大きなお世話. . .
と言われることが多い。

しゃべって
碌なことがなかったのは
もう十分
身体が覚えている。

酒が入って
多弁になった日には
もう次の日
生きていられなくなる。

でも、
誰かのために
喋ったのだ. . .
と、
1ミリくらい思う。

そして、
誰への愛だったのか
正直に言え!
と自分に迫る。

やっぱり
沈黙は金だ。

忍耐が要るし
スマートだし
いざこざも無い。

多弁の人に
深い眼差しを送り
かつ
沈黙を通す。

それでいて
相手に多くを伝える。

わたしは
そんな人になりたい。

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