東京の袖よ、いつまでも十二単であれ!

最近TVを点けると
自分は都民か. . .と
勘違いする。

豊洲新市場や
オリンピックと
喧しい。

そして思う。

あ〜
振れる「袖」が
あるんだな…と。

祇園など歩くと
振袖姿の舞妓さんと
すれ違う。

彼女たちは
若さという資産を
袖に替えて
振って魅せる。

袖は資産の象徴。

地方財政は袖が無い。

それどころか、
ランニングだけ着た
行政地域も多い。

もっと言えば
ふんどし一丁の地域もある。

それだけで透明化だが、

さらに仔細に検証し
丸裸になる。

それから考えれば、
東京の袖は十二単。

袖が大きいだけでなく
複数重なり合い
金銀に輝く。

どうやらその中を
「伏魔殿」と
呼ぶらしい。

地方にすれば
行財政改革をやらないと
死んでしまうが、
東京は余裕があるのだ。

当然改革の後進地となる。

戦後日本は
この東京一点突破主義を選んだ。

そして、
それは大きく機能した。

国家には
ダイナモが必要だ。

今も東京は機能してるし
今後も「頼むよ!」と思う。

ダイナモの東京には
袖があって欲しいし
十二単の袖がよく似合う。

東京がランニング姿になったら
日本は終わる。

ただ、
伏魔殿はご免こうむりたい。

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