日本文化が花開いたのは、京都が暑かったからではなかろうか

暑い京都の夏も

東山三十六峰

聞けば

墨絵など
連想し

幾分
涼しくなる。

どれが
三十六峰か?


聞かれれば

だいたい
あの辺り


指差すだけで

わたしも
よく知らない。(笑)

中世以降

どちらかと言えば

京都の街が

東に向けて
発展したのは

鴨川以東の
山かげを求め

暑い夏を
乗り切るため
だったのでは


思えてしまう。

それほど
京都の夏は
暑い。(汗)

日照時間が
長くなりがちな
西のエリアは

古代より
桂川の
氾濫などで

湿地帯
だったこともあって

湿度が高く

疫病の可能性が
上がった可能性も

想像できる。

疫病退治の
祇園祭も

ここに
始まるのかも
しれない。

酷暑の中で生きる
植物たちが

強い抗酸化力を
獲得するように

暑い京都だからこそ

この地の人々は

涼しさへの知恵を
発展させたのだろう。

中でも

疎水に沿った
哲学の道から

法然院を経て

東山文化の拠点
銀閣寺に及ぶエリアは

まさに
出色の
空間だ。

ここは

朝廷や
武士の要人が
涼を求める

避暑地という
イメージが
強いが

庭、お茶、お花など
静謐な文化とともに

涼しさが
より洗練された
とも

思える。

もちろん

いと涼しげなる
比叡おろしの
仏門とも

習合したのだろう。

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