六月も終わる . . . 真夏の入り口で ふと想うこと

六月も
押し詰まり

夏越の祓(なごしのはらい)が
近づいてきた

茅の輪(ちのわ)を
くぐり

半年分の穢れを
落とし

後半の息災を
祈る

神前の儀式 . .

古の人々は

随分と便利な仕組を
考案したものだ

わたしが
初めて
茅の輪を見たのは

遡ること
10年以上昔の
6月30日

その日
偶然にも

上賀茂神社に
降り立った . . .

空中に敷設された
茅葺きの
それを見た瞬間

なぜか
磔刑図を連想したのを
思い出す

そう
キリストの十字架だ

片や 円相
片や 十字

まるで
相貌は異なるのに

直感的に
そう感じたのは
何故だろう ?

この輪をくぐれば
穢れがとれるという

やや
契約的
具体的儀式に対し

自分が
慣れてきた
多神教的寛容さ

別に言えば
曖昧さとは

やや異なる緊張感を
感じた気がする

京都という地は
景教(キリスト教の一派)と
何かと繫がりが深い地と
言われたりもする

そのことにつき
わたしは
全くの門外漢だが

ただ

一神教か多神教か
という

二者択一の道よりも

極東の地
行き止まり国家
日本には

いろんなものが
混在すると

達観すべきでは . .

と思っている

まさに
松花堂弁当

はたまた
吹寄せ御膳の

面目躍如である

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