京都旅で「本を購入しない」仕組み

日常の
生活圏から
解き放たれ

京都に
埋没する
幸せ。

例えば
午後3時
ホテルに
チェックイン。

肺の空気を
京都仕様に
入れ替える。

恒例
六角堂に
参拝し

いつもの本屋で
背表紙を眺める。

おやっ..と
手にとり
数ページ捲って
値段を見る、

う〜ん、
2,500円か. . .

やや
ハードルが
高い。

書棚に戻し
ぐるり一周して

また
そこに戻る。

もう一度
手にとって捲り

再度値段を
確認する。

やはり
2,500円のままだ。

いつものことだが、
熱燗3本が
脳裏に浮かぶ。

この本が
本当に必要なのか?

あれこれ
理屈をつけてみる。

散々考えて
空手で本屋を出る。

いつの間にか
赤提灯に居る。

アテをつつき
熱燗3本
呑み終えた頃

やっぱり
買っとけばよかった
と思う。

翌日また
本屋に居る。

また
ペラペラ捲る。

分厚いだけで
大した内容でも
なさそうだ. . .
と思う。

同時に、

あまりに小さい
自分に
気づく。

一周して
また
その本の前に
戻る。

気づくと
赤提灯に
居る。

こうして
短い京都の旅は
終わる。

しかし、

3度の旅で
1度は
本を買う。

その時は、

装丁カバーも
すべて
剥ぎとってもらい、

勝ち誇ったように
店を出る。

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