パラリンピックが  オリンピックを超えて   競争の意義を 教えているのでは . . .

先日

NHK
経済特番で

資本主義は
その成功ゆえに 『 自壊 』する

という

シュンペーターの
言葉が引用された

わたしは

遠い
学生時代

この
言葉が

ストレートに
腑に落ちたのを

鮮やかに
思い出した

わたしの
記憶の中では

派手な
『 崩壊 』ではなく

人間の慢心が
生む

グズグズとした
『 瓦解 』だった

しかし
我々には

この道しか
残されていない

とも
思えたものだ

人は

競争するように
できている

競争を

ある種の
生き甲斐にすら

変えてきた

どんな主義や
体制であれ

そこには
競争がある

我々は

なんとか
生き残り

他者に
先んじて

自己達成を目指す
生き物だ

そして

この資質
こそが

逆に

他者の痛みを
理解できるよう

人は

時代とともに
進化した

話は
一気に飛躍する

もうすぐ

平昌五輪

パラリンピックが
開幕する

健常者以上の「 事情 」を
抱えながら

それを
超えて

競争に挑む
彼らの姿は

強い感動と衝撃を
生むはずだ

そして

この
パラリンピックが

オリンピックと
同等のものとして

いい意味で
商業化されたことに

わたしは

資本主義の慢心
ではなく

資本主義の英知を
感じずにはおれない

激しく
清々しい競争を

楽しみに
している

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