「茶の心」と「喫茶店」について考える

仲間内で
「ちょっとお茶していこう」
というのは、
まさに日常茶飯事だ。
特に、
一仕事終えた後など
互いに胸襟を開き
今日はご苦労様でした..
となる。
茶道の形式のように
主人と客人という関係性ではないものの、
浮世のしがらみを一旦棚上げし
素の人間同士
心を通わせましょう…
ということだろう。
その点で私は、
茶道のお茶も喫茶店のコーヒーも
同じものだと認識している。
そして、
喫茶店での同席が
一対一の場合
「ここだけの話だけど…」
ということも
往々にしてあり
静かで深い時が流れる。
こうした場合
コーヒーを煎れる人は、
ひととしとったマスターであったり
ママであったりする。
やや遠くから気を配りつつ
頃合いを見計い
趣あるカップ&ソーサーで
サイフォンをくぐり抜けた
芳しいコーヒーが運ばれてくる。
しかも、
ちょっとした借景があったり
水を打った坪庭があったりもする。
こうなるともう
まさに「茶の心」そのものである。
しかしこれが、
手盆を持たされカウンターに並び
流れ作業のごとく
「はい、次の方何にしましょう!」
とやられると、
やや「茶の心」から
遠のいてゆく気がする。

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