「生活のために必要でなければ 無くなってもいいのである」…という論理

先日NHKで
坂口安吾「堕落論」についての
小番組を見た。

一例として、
庭園や仏塔や仏像など..
どんなに文化的価値があろうと
生活に直接必要ないものは
無くなったところで
それで日本人の本質が
変わるわけではない。
大切なのは唯一「生活」である。
真に必要であれば、
その時また作ればいい。

みたいな話だった…。

「ほ〜」と思った。

同時に、
頭に浮かんだ絵があった。

熊本城!

震災で足元が崩れた
痛々しい姿を見る日々だ。

想像の中で聞いてみた。

安吾さん
あの熊本城はどうでしょ?

すると
「そんなミクロなレイヤーで語っているのではない! 
 この大馬鹿者!」

激しく叱責された。

だがその後、

わたしだけに聞こえる
ひそひそ声で
「ただし、人々が何かを思慕するという気持ちは
大きな力を生むために、真に必要なことでもあるんだよ」
と苦笑し、
「だが、これは言わなかったことにしてくれよ」と
ウィンクをされた。

わたしも小さく「はい」と頷いた。

歴史は
あらゆるものを灰燼に帰した。

しかし、
何かを思慕する心が
多くのものを生み出してきたのは
まぎれもない事実である。

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