「京都好き」と簡単に言うなかれ!

私自身
京都好きを自認している。
だが、
「京都に住みたいですか?」
と問われれば、
黙ってしまう。
以前、
京都は私にとって
ディズニーランド..と書いた。
ディズニーランド好きが
ディズニーランドに住んでしまうと
そのときめきは
半減するに違いない。
少しでも時を置いて訪ねるからこそ、
好きで居続けられるということもある。
しかも、
京都に住んでしまうと
今度は京都人としての責任が発生する。
このプレッシャーに
果たして
耐えられるだろうか…。
1年カレンダーだけを見て
のんびり生きている私にとって、
二十四節気七十二候のように
微妙な季節の
走り・旬・名残を感じながら
日めくりカレンダーのように
生活することは
ほぼ不可能である。
しかも単に、
自分の周囲だけの生活を
考えればいいのではなく、
天下国家の有り様、
日本人としての文化の尊厳を
最優先し、
己の利便は二の次…という
厳しさを併せ持つ。
これはまさしく
禅の修行に近い。
それを思うと、
私は京都好きです…と
笑っているのは、
なにやら
恥を晒しているような気分に
なってくる。

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